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西川 純(にしかわ じゅん、1950年8月8日 - )は、日本赤軍の元メンバー。 ==人物== 京都産業大学入学。 1974年9月13日、奥平純三と共にハーグ事件に参加。1975年に逮捕されたが、同年に起こったクアラルンプール事件で超法規的措置で釈放・出国。 1977年9月28日のダッカ日航機ハイジャック事件にも関与し、国際指名手配される。 1997年11月12日、ボリビアで退国処分を受けた。1997年11月18日、ボリビアのサンタ・クルスから追い出され、日本に帰国した際に成田空港で逮捕された。検察からハーグ・ダッカの両事件で起訴された。弁護側はハーグ事件では拳銃を発砲した奥平純三との共謀を否定し、殺人未遂罪の無罪を主張した。 2007年3月30日の判決で、東京地裁は日本赤軍のテロ事件を「政治的主張実現のため他人の生命や身体の安全を顧みず、暴力的手段に訴えることをいとわない反社会的行為」と断じ、無期懲役を言い渡した。初公判から地裁判決まで32年が経過していた。地裁はハーグ事件で「拳銃で人質を脅迫、監視するなど不可欠な役割を担った」として警察官に拳銃を発砲した奥平純三との共謀を認定して殺人未遂罪で有罪としたが、検察側の主張する重信房子(懲役20年)との共謀を認めなかった〔西川被告に無期懲役 ダッカ、ハーグ両事件 47NEWS 2007年3月30日〕。控訴審では弁護側は西川がハーグ事件では殺人未遂を否認し、ダッカ事件当時はベイルートにいたとするパレスチナ民族評議会のアリバイ証言を提示したが、2008年10月28日に東京高裁はアリバイについては「乗務員の証言から実行犯であることは明らか」と退け、「リーダー格の丸岡修を補佐する重要な役割を果たした」と認定して、無期懲役判決を維持〔西川被告、2審も無期懲役 ダッカ・ハーグ両事件 47NEWS 2008年10月28日〕。西川は上告したが、最高裁第1小法廷は2011年9月12日付けで上告を棄却する決定を出し、無期懲役が確定した〔 日本経済新聞 2011年9月13日〕。 2015年現在、熊本刑務所に収監されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西川純 (日本赤軍)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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